
「風のつぶやき」は、河原成美がお届けするコラムです。

ありがとうございます。河原です。唐突ですが、今回はあなたもご存じの「北風と太陽」の話から連想したことについて書かせていただきます。
北風と太陽は、各々の持てる力を発揮して旅人のコートを脱がせようとします。真っ先に北風が力の限りにビュービューと強風をあびせかけると、旅人はコートをはぎ取られまいと襟元に手をかざし、向かい風に飛ばされぬように進んで行きます。次に太陽。太陽がやさしい春の陽差しで旅人を包むと、旅人は「あぁ、温かいな。コートなしでも大丈夫」と自分からコートを脱ぐのです。
この話を旅人の体感温度による行動変化と言えばそれまでですが、僕はこう考えま した。「北風は旅人の心を頑(かたく)なに閉じさせ、太陽は心を開かせた。それは、記憶についても当てはまるのではないか」と。
例えば、喜びと哀しみの記憶。いつまでも笑顔や温もりと共にある喜びの記憶と、逆に忘れようとしても心の奥底にオリのようにたまって消えない苦しみ・哀しみの記憶。記憶に人格があるとするなら、苦しみ・ 哀しみの記憶は人の心の扉を無理矢理こじ開け、侵入してくる「陰」の記憶で、喜びが高じた感動の記憶は、意識せずとも相手の心に入っていける「陽」の記憶ではないでしょうか。
一例をあげるとしましょう。あなたは大好きなミュージシャンのコンサートが3ヵ月先にあることを知ります。先行予約でチケットをリザーブし、その日を心待ちにします。コンサートの日が迫ってくると、指折り待つでしょう。いよいよ当日。会場の喧噪さえ心地よく、席に着くと幕が上がる。全曲ヒートアップして、アンコールまでボルテージは上がりっぱなし。終わった後も鼻歌でメロディーを奏でながら家路に着く。ありますよね、そんな経験。
大きな喜びや感動を伴う記憶は、ノックもせずとも入っていける記憶です。なぜなら、出くわす前から相手は心待ちにしてくれているから。受け手の心が「ウェルカム」しているわけです。
では、これを飲食業に当てはめてみることはできないでしょうか?
お客さまが何らかの情報を得て、「この店いいらしいよ」と期待を胸にご来店くださる。そこに、心を込めたキメ細やかなサービスが、心地よい笑顔で供される。料理もおいしい。おまけに今日は、大切な人の誕生日を祝う食事。店の人には予約時に軽く告げただけなのに、誕生日の特別なはからいまでしてくれて、誕生日を迎えた方も本当に嬉しそう。「ありがとう」が連発され、その席の廻りには温かい空気が充満する。
飲食業は相手の心にノックもせずとも入っていける、その可能性がいっぱいの仕事です。小さいお子さま連れのお客さまに、つき合い始めたばかりのちょっとぎこちないカップルに、銀婚式も終えたようなご夫婦に、野郎ばかり5人で賑やかなグループに…あなたは何をしてあげるのでしょう?
サービス料など付くはずもないラーメン一杯に、お客さまを感動させるほどの心くばりがなされたら、その店は、お客さまにとって特別な店になるでしょう。ラーメン店に限らず、すべての飲食業に従事する人が、そんな思いやりあふれる心で店に立ってくれたら、外で食事をするたびに人の心がやさしくなる。飲食業は素晴らしい仕事だと、僕は思っているんです。
一粒の種から小さな芽が出て、やがて枝葉を伸ばし実をつける。キラキラと輝く陽の光をいっぱい浴びて植物が成長していくように、それぞれの人の心に「北風と太陽」の、太陽の心が育つと素敵だろうなと思うのです。
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