

1985年10月16日、大名の路地裏に一軒のラーメン屋がオープンした。名前は『博多一風堂』。
店には歴史がなかった。店主はのれんの重さがほしかった。だから風格のある一枚板に墨文字で大きく『一風堂』と彫った看板を掲げた。店には歴史がなかった。店主は歴史がほしかった。技術と知識は身につけた。情熱もあった。
しかし、どんなにお金をかけ店に愛情を注いでも、歴史ばかりはどうしようもない。店はつくった。人も入れた。お客さまも来てくれた。店主は「これから自分の手で歴史をつくっていこう」と心に決めた。大名の次は新横浜、それと前後するように塩原に『博多一風堂』をオープンした。それまでやっていた別のコンセプトのラーメン屋も『一風堂』に改めた。

新横浜で受け入れられたのはマスコミの力か自分たちの実力か、本当のところを確かめたくて恵比寿、高田馬場にも店を出した。「大阪に店をつくりましょう」と純粋な眼をして熱意をぶつけてくるスタッフがいた。そして関西1号店が誕生した。
新しく店をつくることはエネルギーの分散につながる。隅々まで気がとどかなくなることも事実。しかし店のコンセプト、ラーメンのつくり方、お客さまに接する姿勢、ベーシックな部分には同じ血が流れている。
その店ごとに店長がいて、スタッフが育っていく。山田の大名本店、中坪の新横浜ラーメン博物館店、高瀬の塩原本舗、安田の太宰府インター店、本田の、林の、奥長の・・・・それぞれの『一風堂』が、その地に受け入れられて、ちゃんと根づき日一日と伸びている。
「同じスピリットを持った違う表現方法があっていい」と店主は思う。「人生は自己表現、ラーメンは生きる力の源」と店主はいう。「うまいラーメンをつくりたい。お客さまの笑顔を見るとさらにやる気がわいてくる」一風堂にはそんな若者が大勢働いている。店には勇気、元気、活気があふれている。一杯の丼の中には店主の想いとスタッフの気が込められている。たった一杯のラーメンが幸せな光景をつくっていく。
店主は、大名の路地裏に始めた歴史ものれんの重さもない一軒の小さなラーメン屋が【未来の老舗】をつくるための始まりの一軒、最初の一歩であったことをいま確信している。
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